連休。例によって疲れててあまり行動せず。
まだ暑いし夜な夜な乗るぐらいで丁度いい。
世間が月見○○な商品だらけらしいのでわが家もそれに倣い月見チーズバーガーを製造。
うめえ。手作りバンズもだんだん完成度が上がってそこらの店よりうまい。
なんだかよくわからない写真だがやたらその月がやたら明るい。
ちょっと走りに出た。まだ暑いな。
土曜なのに単車は俺だけでいい感じ。
きのうも夜に乗る。りうじさんと待ち合わせて夜走り。
りうじさんの単車だクルマだのの修繕計画話などをだらだらしてきた。楽しいなあ。
ずっとこういう話だけしていたいわ。ありがとさんでした。帰路に雨降られたけど。
わが家はふとした拍子に単車もクルマも手も掛からず悩みもしない方面になり
頭の片隅にちょっとた悩みや計画が大量にある状態から脱してしまった。
この頭や手をずっと動かしてる状態は楽しくて幸せなのはよーく知っている。
きっと性格なんだろうけど、
そういう状態は望んでなるもんじゃなくてたまたま何かを選んだ結果であって、
知識も経験も工具も部品も乗り物も乗り方もその時々の成り行きの集合だと思っている。
おれは特定の車種やメーカーやライフスタイルへの憧れも思い入れも無く、
刹那的にその時楽しそうなのに乗って遊んでるだけなので、今の平穏も去年までの喧騒もたまたま、成り行きだ。
同じような話で音楽とかも意図的にこだわりを持たんようにしている。
なんかあるとしたら「若く多感な時期に好きだった作品やジャンルを死ぬまで好きで
ずっとそれ聴き続けてます服も生き方もそんな感じですみたいな状態」に対する恐怖、ちょっとした軽蔑と嫌悪だ。
そんで、結果的に何もかも節操がなくなっていき散漫なまま時間が過ぎ脈絡のない
半端な知識が増えたり忘れたりしていくわけだ。
適当になんのオチもなく。(ちょっとオチがついた
最近気になってんのは、
すり抜けせずじっと渋滞に耐えていたり楽しい峠道をゆっくりゆっくり走っている人々。
その楽しそうな人らの横目に眼を見開いてハアハアいいながら全開ですっ飛ばしてんのが若干アホらしくなってきた。
ああいうのいいなあと思いつつ止めないのはテキトーを指向しつつ何かに縛られてるからだ。
以上、下手くそな撞着話法の一例。