2021/07/24

クソみてえな話を考える

どうでもいいオリンピックのためのどうでもいい4連休。
どうでもいいので何もしていない。



そのどうでもいいイベントのたかが開会式にまつわる侘しい出来事の数々が
イベントそのものとは無関係に世代的羞恥を刺激する内容であったことで、
かつてサブカルチャーに触れてきた中年の皆さまはさぞかしモヤモヤしていたことだろう。
おれを含む中年がなんとなく反対してたイベントの、たかが開会式の話だよ ハハハ 
しかしこのお話、構成要素が多層的でとても楽しいのでまとめたくなった。

例に漏れずそれなりに90年代のサブカルに触れてきた世代だが、
今回標的とされた両名とも全く好きだったことも触れたこともないし、むしろ彼らは
都会的なものに憧れる方々向けに薄められたポピュラー側に居るサブカル商売の広報担当者
みたいな認識で、当時は毛嫌いしていた。その理由はなんだった?



かつてサブカルに居たおっさんがメジャー化して成功していくなかで出自を忘却し、
迂闊にもザ・体制側の体育会イベントにほいほい顔をだした挙句に過去に復讐され、
当たり前のように排除されてしまうという、冷笑と侘しさしか残らないお話である。

この寓話のような顛末によって、われら中高年は過去のあれこれや感情を刺激されて、
とてもとても複雑な気持ちになるのだ。

①体制側の体育会イベントなんぞに参加すりゃ、そりゃ排除されるだろうよ
 参加しちゃう辺り、やっぱりあいつらはポーザーだったんだねハハハ みたいな冷笑
②無内容な謝罪で、やはり日本のサブカルチャーはノーエクスキューズで空虚なものだった
 そんなものを文化と思って呼応してたのか‥ という侘しさ
③結果として排除されたことで、そのノーエクスキューズな日本のサブカルチャーが
 面目を保ったのかもな・・保ったの?だったら意味はあったの?ねえよ! という皮肉
④ゲーム音楽が使用され体制に文化としてこちらも迂闊にも受け入れられちゃったこと、
 ポップカルチャー化への葛藤と、あーあの人OKなのかよ・・やっぱりみたいな諦観
⑤アンチメインストリームな軟弱なサブカルは結局マッチョな主流派に排除される
 という過去の羞恥心のぶり返し

クソくだらねえ運動会そのものに対する反発と相まって
上記のようなベクトルが少しづつズレた違う感情・感慨が集中的に押し寄せることで、
サブカル中高年総がっかり病みたいな状態に陥った訳だが、こうしたがっかりの積み重ねが人生です。

要するにミッドライフクライシス的なやつ。
それほどでも無いっつうか結局どうでもいいわと思うぐらいには老化が進行していても
久々にまとまった文章を書きたくなるぐらいのがっかり感には襲われた。
おれはこれに関してだれの共感も求めないし、文化的に評論する教養もないのだけど。
翌週さんのたのしい文化的考察とか読んでみると楽しいよ。

**

先週はひっさびさに都内に出て職場で注射を打ってきた。

山手線社内はかわいい動物の写真がいっぱい。なんだなんだ。

平日なのに品川駅はガラガラ。

昨日は気合を入れて昼間にうろうろしてきた。

TRACERの外気温時計は38度。やばいね。
風があって日陰は涼しめ。

置き場で首タオルでシートカウルを外してOpenLoop(固定マップ)に変更して、
調子のよかったマップに書き換える。

ひと回り走ってから久々にお店に。
手前の1000SP改のタンクが仕上がってて見違えてた。売れるといいすねー

どうも切り切れないクラッチの調子を見てもらいに。
ワイヤに削りのスペーサを噛ましてもらい、調整幅を出した。
これでダメならエンジン側のレバー調整かな。

店主どののスポルトはツアラー仕様になってた。いかしてんなあ。

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